「うるさ~い!」
日本に帰って以来、毎日最低1回はこうつぶやいてます。口に出しては言いませんよ。心の中でです。以前はそれほど思わなかったんですけどね。帰国後、妙に気になるんです。
それは、駅のプラットホームでのアナウンス。「線の内側を歩け」とか「子どもの手を引け」とか「並んで待て」とか、とになくまあおせっかいだなと。朝のまだ眠い時に、パソコンに向かいすぎてガチガチになった頭をリラックスさせてあげたい帰宅時に、大音量で自動アナウンスを流したり大声でがなりたてるのはいい加減にしてくれと思う訳です。逆に、アナウンスが流れていない時には「な~んだ、これがなければ東京って意外に静かじゃない!」なんて思うこともしばしばだったり…。
「乗客の安全を守るのが鉄道会社の仕事」という考え方があります。だから、アナウンスは必要だと。でも、電車のホームで「線の内側を歩いたり」「子どもと一緒なら手を引き」「並んで待つ」というのは、いい大人であればできて当たり前のことですよね。ハンディキャップのある方がいれば、周りの人が助ければいいのです。自分の身は自分で守る―。これぞ自己責任であるはず。最近やたらと自己責任を強調するのが好きな国民にしては、肝心な部分で誰かに指示されたいという意識が根強く残っているのかもしれない。そんなことを考えながら、今日も怒濤の”騒音”にうんざりしているのでした。