セーフティネットなき日本社会の本質

セーフティネットなき日本社会の本質

セーフティネットなき日本社会の本質

1月22日(火)朝日朝刊オピニオン面、犯罪学者・浜井浩一さんのインタビュー「刑務所から見えるもの 軽い罪を繰り返す高齢者や障害者に居場所と出番を」が、セーフティーネットがなきに等しい日本社会の問題の本質を言い当てていて、すごく目を開かされました。
日本では、刑事司法と福祉の連携がないために、ほんの少しの食べ物を万引きをしてしまう高齢者や障害者の受刑者が急増していて、これは「世界的にも異常な事態」(浜井氏)なのだそうです。なぜそのようなことになっているのか―。
「刑罰にはいわば消費税と同じような逆進性があり、同じ罪を犯しても無職だったり高齢だったり障害があったりして社会的基盤が弱い人は、身元引受人がいなかったり、他人とうまくコミュニケーションが取れなかったりするために再犯の可能性が高いと判断されて実刑を受けやすい」「最大の問題は、社会のセーフティーネットが壊れていること。受刑者全体は減っているが、刑務所内で死亡する高齢者は増加している。社会のいろいろなところで拒否されてきた人たちの最後の『居場所』になっています」(同)
生活保護費の引き下げなど、壊れたセーフティーネットをさらに踏みつけるような動きがあらわになっています。
「民主党政権が社会的弱者に視点を当てて『居場所と出番』をつくって社会的に包摂していこうとしたことは間違いない。そこは素直に評価すべきだと思います」「安部新政権には、物語ではなく、事実や根拠に基づいた政策を実施してほしい。貧困、自殺、犯罪。問題の根っこはつながっています。今は普通に生活している人たちだって、いつそういう状況に陥るかわからない。それは心の問題ではなく、社会に居場所があるかないかの問題です。人は一人では反省できても、一人では更生できないのです」(同)
SNSをはじめとする「つながり」がひろがる一方で、東日本大震災を機に問われたコミュニティの「つながり直し」の必要性。私たちはこれから、「安心」と「絆」をどうやって作っていえばいいのか―—。考えさせられます。
「日本人は刑事司法を信頼していないのに、なぜ悪いことをすると罰を受けると思っているのか。社会心理学者の山岸俊男さんの理論を援用して読み解いてみると、地域コミュニティや会社コミュニティなど『仲間内』での相互監視にさらされているからだと考えられます。(中略)それは、他者に対する信頼をもとに築かれた社会とは根本的に違います。だからこそ、仲間ではない人間に対する警戒心は強く、排他的です。(中略)もともと他者への信頼が希薄な上に、相互監視による安心を失ったら、残るのは他者への不信とおびえだけになってしまい、それでは社会はうまく回りません。ではどうするか。刑事司法や防犯カメラの監視機能を強化することで『安心社会』を外側から補強するか、それとも信頼に基づく社会を築くことを目指すのか。大きく言って道は2つだと思います」(同)
理想としては後者だと私も思いますが、人付き合いや社会参加についての国際比較調査では、日本人はダントツにどちらも少ないのだそう。となると…。
「そもそも他人と触れ合っていない中で、他者への信頼を育もうと言っても無理でしょう。昨今の学校現場でのいじめに刑事司法が介入していく現状を見ても、『安心社会』を外側から補修しながら対策を進めていく公算が大きいのではないでしょうか。短期的にはそれで仕方がない面もある。ただ本当にそれが私たちが望む社会なのか、一度きちんと考えてみる必要があると思います」(同)
皆さん、いかがでしょうか。

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