ジャーナリスト/コミュニティ・プロデューサー
木村麻紀 公式ウェブサイト

親自身が良い環境になる――それが親力だ!

発売中の『POCO21』8月号インタビュー「この人が語る」にご登場いただいた、教育評論家の親野智可等(おやのちから)さん。私も含め、インタビューさせていただいた編集部員も子育て中のママということもあり、本当にお話の尽きないインタビューになりました。
子育てをしていると、子どもに良い環境を「与える」ことが親の務めだと思って、ついついあれこれ考えてしまいがち。「良い学校に行かせたい」「躾もしっかりしないと」――。しかし、20年以上にわたって小学校教師を務め、多くの親子に接してきた親野さんは、親自身が子どもにとっての良い環境に「なる」ことこそが大切だと言います。果たして、親力アップのために親が、大人が、社会がやるべきことは何か――。紙幅の関係ですべてはご紹介できなかったのですが、育児中のすべての親御さんにお読みいただきたい内容でしたので、親野さんのご許可をいただいた上で、ここに再掲させていただきます。
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親野智可等さん(撮影・タカオカ邦彦)
――教育ではよく、家庭と学校と地域社会が三位一体となって取り組みましょう、と言われます。その中でも家庭、とりわけ「親の力」に注目したのはなぜですか。
 教師としてクラスの子どもたちに一生懸命働きかけても、なかなか伸びない子どもがいました。その時に感じたのが、子どもの後ろにいる親の存在、影響の大きさでした。もちろん教師ですから、色々と工夫して授業をしたり子どもを褒めたりするのですが、子どもによっては家で親にガンガン叱られている。そうなると、子どもはなかなか伸びません。親の影響力は絶大だということを、教師になってすぐに感じました。
――親の影響の大きさ故に、現場の教師として限界を感じていたのですか。
というより、親に働きかけることの必要性を感じたということです。私は、人間の人生は三つの要素で決まると思っています。まずは、持って生まれた資質。これはある意味、どうしようもない。次に環境、最後が本人の自由意思です。この二番目の環境が、何と言っても親の力に関わる部分です。
 私が親御さんにいつも言うのは「こういう子にしたい」という気持ちが強いのは良くない、ということです。勉強ができる子にしたい、嫌なことでも頑張れる子にしたいなど、目指す姿があります。「ここへもっていこう」という気持ちが強ければ強いほど、子どもを叱る度合いが増えます。「なぜ○○できないの」「○○しなきゃだめでしょ」という言葉が必ず増えます。否定的な言い方です。
 この願うべき子どもの姿というのは本来、子ども本人には無関係なものです。これはすべて、親の過去の経験や聞いた話、読んだ話、世間一般の通念など、言ってみれば親の価値観から出てきたもの。親の願いと言いながら、実は親の欲でもあるということに気づいて欲しいのです。
―親の願いという名の欲、ですか。
 日本人は、農村社会での封建主義的な考え方を引きずってか「どこに出しても恥ずかしくない子」にしなければという気持ちが強い。こういう気持ちが強ければ強いほど、叱ることが増えます。ベネッセの調査でも、親が子どもに願う将来像として「他人に迷惑をかけない人」が2番目に入っています。これは他の国々に比べて異常に突出した数字で驚かされます。
もう一つ、子どもの自尊感情が低いのも日本に特徴的です。自分は何でも頑張れる、と考えられる自己肯定感が非常に低い。色々な調査で日本はいつも最下位です。
 この二つは、リンクしています。「恥ずかしくない子にしたい」という意識が優先されると、必ず子どもを否定的な言葉で叱ることが増えます。そうすると、子どもは自信をなくす。これは本当にまずいことです。
――親が何気なく言うことが、子どもの人生に決定的な影響を及ぼしている。
 世の中には「教育をめぐる勘違い」が横行しています。


例えば、ほとんどの親は子どもの人格や存在を否定するまではしませんが、物事について否定的に言うのはオーケーだと思っています。しかし、これは大きな勘違いです。「また片づけていない。片づけないとダメでしょ」。こういう言われ方をすることが多いとどうなるか?子どもの立場にしてみれば、それを全部言われているのは他ならぬ私。結論は、私ってダメだな、となる訳です。親は人格否定するつもりがなくても、子どもにとっては同じ結果になる。だから自己肯定感が低い。
――子を持つ親として、耳の痛い指摘です。
 否定的な言い方をやめるだけで、子どもはものすごく素直になります。聞きたいという気持ちになるので、強く命令しなくても言うことを聞くようになるのです。日本語表現の特質かもしれませんが、私たちは「○○しちゃダメ」と簡単に言いがちです。でも「丁寧に書かなきゃダメだよ」ではなく「丁寧に書こうね」と言えば良いのです。
 とはいえ、現実にはすべてを肯定語で言う訳にはいきません。そういう時には、単純形で言いましょう。「さあ、○○するよ」と。このとき、「またあなたは、どうのこうの…」などと余分なことは一切言わない。肯定語と単純形には、非難の要素が一切入りません。だから、だんだん子どもが素直になります。
 私の講演を聞いた親御さんが、お子さんから「ママ、ある時変わったよね」と言われたそうです。お母さんが私の講演を聞いて、言葉を変えたのです。お母さんが「どう変わったの」と聞くと、お子さんは「私の味方になってくれるようになったよね」と答えたそうです。その前は敵だった。否定語でバンバン言っているから。親はもちろん意識して変えたのですが、子どもにもそれが伝わっていたのです。
 今子育て中の親御さんにも自分の親に否定語で育てられた人がたくさんいて、自分の子どもにもそれを繰り返す可能性が高い。でも、我が子にはそういうことを繰り返したくないと親が自由意思を持つことで、自覚して別の道を歩むことができます。ぜひそれをやって欲しいです。
――親が自覚して、意識して、努力して言葉を変える必要がありますね。
 もう一つ、子どもに共感することも大切です。以前に歯医者に行った時、年長ぐらいの男の子がむずがって、お母さんが叱っていました。子どもの顔を見ると、不満のストレスでいっぱい。こういう時は「そうね、もう何時間も待っているね。お腹空いちゃったね。お母さんもペコペコだよ」と言ってあげれば、子どもは「僕の気持ちを分かってくれた。もうちょっと頑張ろう」となるのです。
 躾よりも、共感を優先したほうがいいですね。親として最終的にはノーと言わざるを得ない場面でも、最初にたくさん聞いてあげて、最後に「でもね」と言えば、子どもも分かるのです。Yes,but….(イエス、バット)では、共感が不十分。「イエス、イエス、イエス、バット」まで共感してあげて。親が自分のことを分かってくれたとなると、子どもは親を信頼して素直になれます。
 例えば、「お母さん、部活辞めたい」と子どもが言う。親は「何を言ってるの、辞められるわけないでしょう」と門前払いをしたのでは、子どもの気持ちの持って行き場がないわけです。まずは聞いてあげる。「どうしたの」「こうだよ」「それはいやだよね」と。たくさん吐き出させればすっきりして分かってもらえたから、「じゃあ、もうちょっとやってみるよ」となる場合もある。そうならない場合も、たっぷり聞けば原因がはっきりします。すると、適切な対処方法が見えてきます。
 子どもと親の信頼関係を培う上でも、子どもの自己肯定感を育てる上でも、さらには子どもが自分を素直に振り返る上でも、これは大切です。親が「おまえが悪いんだろう」と言ってしまうと、素直に自分自身を振り返ることができません。これからどうしたら良いかついても考えられない。怒りのマグマに突き動かされて、冷静な判断ができません。一度空っぽにしてあげることが大事です。思春期でも、このやり方は有効です。親が共感的でないと、共感的に聞いてくれる大人を探して、夜の街に行ってしまったりするのです。
 親というのは、子どものためにと思いつつ、自分の一部分だとも思っているから遠慮がない。特にお母さん。自分の体内から出てきているから、遠慮がない。他人にはとても言えない、大人同士ならとても許されないような言葉を、我が子ならオーケーだと思っている。
 親子と言っても、基本的には1対1の人間同士です。子どもは授かりものではなく預かりもの。この宇宙に1人の人間として生まれてきた、たった一人のユニークな存在。大人である親と何ら遜色ない、1人の人間なのです。産まれたのが20~30年違うだけです。子どもをこういう人間にしてやろうと思うこと自体、僭越なのです。
――否定語を使わず、共感をベースにコミュニケーションすることが大切なのですね。一方で、最近では企業などがグローバル人材の養成と言うので、子どもに色々な素養を身につけさせようと、早期教育やお受験に象徴されるような有無を言わさぬスパルタ的な教育への支持も根強いものがあります。

 子どもの気持ちや向き・不向きも考えず、親が決めた路線に子どもを乗せて、努力を強制する親が増えています。子どものためと言いつつ、子どもを親の自己実現の道具にしてはいけません。子どもの人生は子どものものです。
 中高年の男性はよく「近ごろの若者は叱られたことがないから、会社に勤めて失敗して叱られるとすぐ辞めてしまう」と言います。叱られないから打たれ弱い、と。これもまた、教育をめぐる勘違いです。子どものころにどういう育てられ方をするとどういう大人になるのかというのは、児童心理学者や発達心理学者のメインテーマです。そこで出てきた結論は、世間で言われることとは正反対です。
 子どもの頃、叱られることが少なく共感的な言葉で褒められることが多く、温かい家庭で育つと、自己肯定感と他者への信頼感が育つのです。僕はやれる、私はできる、と思って頑張れる。打たれ強くなるのです。いつも叱られてきた人は自己肯定感がないから、やっぱりダメだと言って辞めていくのです。
 「勘違い」ついでに、もう一つだけ言わせて下さい。苦手なことは大人になってからでは直らないから、今のうちに直してやろう。鉄は熱いうちに打て、と言いますね。
――もしかして、これも「勘違い」でしょうか。
 そうです。子どもの脳は乾いたスポンジ状態なので、吸収力が抜群です。だから、どんどん色々なことができるようになる。けれども、苦手なことを直すというのは、吸収力の問題ではなく、持って生まれた資質を作り替えることなのです。
 これに必要なのは、意思の力です。でも、子どもは将来を見通せないので、そもそも意思力がない。子どもは新しいことを吸収できても、自分を作り替えて苦手を直すことはできないのです。
―否定的に叱るのはよくないとすると、親としてはどうしたらいいのでしょうか。
 できる範囲で構わないので、子どもの問題点について解決するための合理的な工夫をしてあげて下さい。例えば、歯磨きを忘れてしまう子どもには、お箸と一緒に歯ブラシを出しておく。それだけで、磨く確率が上がるでしょう。できたら「自分で磨けたね」と言ってあげればいい。1週間経って一緒に出すのをやめても、磨けたら褒めればいいし、磨けなかったらまだ出してやればいい。
 こうすると、叱られなくて済みます。子どもも助かるし、親に対する愛情も実感できるし、できるようになれば自信もつく。さらに、親がちょっとした工夫を見せていると、子どもも何か問題があったときに自分で工夫しようというマインドが養われる。これは、人生でとても大事なことです。
 子育てはとにかく一人で抱え込まず、声を掛け合って、助け合って、時々ガス抜きしながら行政のサービスを使うことも必要です。もし抱え込みすぎて虐待しそうだと感じたら、子どもと離れることです。散歩に出るもよし、別室でクッションをボコボコ叩くもよし。離れられないときは、一緒にいるところで出してもいいのです。
 私はよく「犬語で怒りましょう」と言います。ひたすら「ワンワン」と言うのです(笑)。意味のある言葉で言うと傷つくので、意味のない言葉で怒鳴り合ってイライラを発散させるのです。現代人はイライラが溜まっているので、素直に出してしまえばいい。そうすると、喜怒哀楽の表現も上手になりますよ。
――叱らず、共感し、工夫しながら解決策を見つける姿を見せる。子育てと言いながら、実は親の人間力が問われている気がしてなりません。
 親自身が変わって子どもにとっての良い環境になると、その良い影響が子どもに自然にいくのです。だから、できることはしてあげる。結果を出すのは他者である子どもですから、結果を求めることはそもそも間違い。楽しみながら、やれることをやってあげれば良いのです。
 そうするためには、子育て中の親にとって、自分のストレス管理が重要になってきます。親のストレスは、必ず弱いところ、つまり子どもにいきます。自分を忙しくし過ぎず、仕事の量を加減することも必要ではないでしょうか。子育て中というのは、二度とない時間です。仕事のキャリアを大事にしたい気持ちも分かりますが、どちらが大事か考えたほうがいい。子育ての手を抜きすぎてしまうと、ツケは必ず回ってきます。後になればなるほど、修復も大変ですよ。
 私は、子育て中の働き方というものがあってしかるべきだと思っています。子育てを一切やっていない人と同じ次元で競争する必要はない。それを企業が求めるのであれば、そのほうがおかしい。それは日本の後進性の表れです。
――子育て中の働き方のありようは子どもへの影響が大きいということを、社会全体でもっと意識しなければなりませんね。ところが、現実には親世代は依然として長時間労働を余儀なくされています。子育てにはお金がかかるからと、親の側も受け入れてしまっている感があります。

 難しい問題ですが、一番目指すべきところを見失って欲しくないですね。そもそも働くのは、幸せになるためでしょう。それを忘れてしまう人が多いのです。
 お金は大事ですが、お金儲けのために働いてばかりいては、子育てがおろそかになってしまう。それぞれの環境もあります。その中で、適度なバランスを取りつつ進んでいくしかないと思います。
――もう一つ気になっているのが、親の経済力が子どもの学力格差につながっているという問題です。親野さんも、子どもたちの放課後の過ごし方に経済格差が表れていることを懸念しているようですが。
 これは本当に大きな社会問題です。学級懇談会で私が「子どもの話を共感的に聞きましょう」と言ったら、3人子育て中の人が「本当にそうしたいけれども、なかなかできない」と。私も「そうだよな」と思いました。
 私は親の力と言っていますが、本当は親だって限界があるのです。だから、社会全体で子育て世代を支えていくことが重要なのですが、日本ではここが非常に手薄です。日本は子育てや教育に対する予算が非常に少ない。OECDの調査では、教育への公的予算の割合は加盟国中最下位です。これは恥ずべきことですが、親世代から何のアクションも起こらないのが不思議です。これは子育て中の親の問題です。 
 この点、欧州はよくできています。PTAが一種の圧力団体、集票マシンになっているのです。PTAは、教育や子育てに予算を振り向けると公約した議員や自治体の首長に投票する。日本では、そういう動きになっていません。
子育て世代は、もっと団結して予算獲得に向けて行動しなければなりません。学校の教員も少ないでしょう。やっと35人学級になるかならないか。欧州では30人ぐらいかもっと少ない。教育にお金を振り向けて欲しい、という親の圧力があるから実現するのです。
――子どもにとってより良い教育環境のために行動することも、広い意味での親力でしょうか。
 親は、何かあったら学校に文句を言いに来るでしょう。そうではない。学校に言っても、学校には余力がありません。学級崩壊したら担任を替えたほうが良いですが、替えるための人がいないのが現場の現状です。学校ではなく、市長にかけ合ってみる。そういう発想の転換も必要だと思います。