環境共生型コーポラティブハウス《前編》

環境共生型コーポラティブハウス《前編》

(株)チームネット代表取締役 甲斐徹郎さんインタビュー

 


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働く女性のためのキャリアプランニング情報誌
「きゃりあ・ぷれす」vol. 106
2002・5・8(水)発行
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■INDEX■
■【特集企画】「天職を探せ」第3回
甲斐 徹郎さん(前編)(マーケティング・コンサルタント)

・ 会社員時代~バブルの崩壊を機に独立を決意
・ チームネット設立

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第3回 甲斐 徹郎さん
(マーケティング・コンサルタント)前編
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■プロフィール■
甲斐 徹郎 (Kai Tetsurou)
株式会社チームネット代表取締役

1959年東京都出身。千葉大学文学部行動科学科卒業。
(株)日本マーケティング研究所にて、建材や住宅を中心にマーケティング
の実務を担当。独立後、(株)チームネットを設立し、環境共生住宅を専門
分野としたマーケティング・コンサルタント業務に従事している。
2001年より、都留文科大学社会学科非常勤講師。

◆主な実績◆
1.環境共生型コーポラティブ住宅「経堂の杜」企画・コーディネイト
2.鳥取県環境共生住宅提案コンペにて最優秀賞受賞。同県営住宅基本設計参

3.東京電力・省エネルギー住宅普及活動「住まいと街づくり塾」の企画運営
4.市民啓蒙活動「エコロジー住宅市民学校」の主宰
5.戸建環境共生住宅の企画

◆環境共生型コーポラティブ住宅とは◆――――――――――――――――
コーポラティブ方式(住宅を求める人が集まって組合を結成し、土地を取得
し、設計、工事を発注して建物を建設し、管理する方式)とパッシブデザイ
ン(自然の営みを巧みに住まいに取り込み、自然の力で室内環境の快適化を
図る手法)を組み合わせた建築手法によって建てられた住宅。
積極的に整備された「自然環境」と「建物」とが一体となって、全体として
一つの大きな「自然の空調装置」として機能するように計画されている。

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■会社員時代~バブルの崩壊を機に独立を決意
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宮崎 「きゃりあ・ぷれす」は女の人が多いんです。男の人は今までの仕組
みの中で優遇されている。だけど、これからはもっと違う働き方があ
るだろうという時に、今までの枠の中にいた男性よりは女性の方が変
えていく主体足り得るのではないかというスタンスなわけです。
それで「天職を探せ」の企画にはこれまで2人の女性の方に登場して
いただいたわけですが、男性の中にも、今までも枠から外れていた人
がいたわけですし、これからの時代を敏感に感じて自分から外れよう
とする人も出てきているわけです。「何も女性に限ったことではない
な」ということで、男性の第1号として今回、甲斐さんにお願いしよ
うということになったのです。

甲斐 第1号(笑)なにを話しますかねえ……。
今、一番関心があるのは、自分達が生活する場所を戦略的に豊かにす
るということです。それはどういう意味かというと、今の我々の生活
環境は、かなり戦略的に失敗していると僕は位置付けているわけです
よ。例えば今の生活環境やスタイルがどのように成り立って来たかと
いうと、おそらく30年か40年の流れなんですよ。
高度経済成長の時期からゼロベースででき上がってきたものがあって、
それがようやくストックとして感じるものになってきているものと、
全然ストックになってないものと、それから次の世代に向けてストッ
クとして作っていくものとをもう1回整理し直して、僕らの生活環境
をもっともっと戦略的に捉え直さなきゃいけないという局面に来てい
ると思うんですね、それがまずは問題意識です。

宮崎 なるほど、ではそのような問題意識を持つに至った過程を伺いたいの
ですが。そうですね、甲斐さんの学生時代の話なんですけど、これを
やろうとか、勉強しようとか思ったことがありますよね。そのへんか
ら話していただこうと思うんですけど。

甲斐 そうですねえ、大学受験の時はもともと今のようなことは全然考えて
なくて、理系志望だったんですよ。建築とかそういうことをやりたか
った。だけど、僕は文系に変更した。それはね、ものを作ることより
も、漠然としてるんだけど、人間の環境の中で何かができるという社
会学を学びたいと思うようになったんですよね。それでやっていった
んだけど全然勉強しなかったんですよ。授業にもほとんど出なかった。

宮崎 じゃあ、何をやってたんですか?

甲斐 秋葉原でアルバイトしてそのお金でディスコ行ったり、合コンしたり
してたんだけど(笑)。それで、あるとき気がついたんですよ。結局
これは、学生としての時間をバイトという行為で浪費して、更にその
お金を使って浪費していくというその浪費の構造が、あるとき急に空
しくなった。それでみんなに「これはおかしいぞ」っていうような話
をして、遊び方のルールを作ろうということでPOCUS(Planning
Office of Chiba University)という団体を作ったんです。
それで、例えば利根川下りをお金を使わずにどこまで行けるか、とい
うことをやろうとすると、まずボートをどこかで借りなきゃいけない。
それで借りに行くんだけど、もちろんただでは貸してくれないんで条
件としてプロモーションビデオを撮りましょうという話で借りられた
りする。
そういう自分達の遊びの中で、ある目的に向けて人と繋がるというこ
との面白さを体験したというのは、財産ですよね。今もそういう人た
ちとはしっかりと付き合いがあります。

宮崎 なるほど、大学では社会学を一応やったわけですね。でも勉強自体は
あまりしなかった(笑)。そこでの消費の構造の遊びから、ちょっと
クリエイティヴな遊びに目覚めたというぐらいで。
それで、就職しなければいけないとなった時に、どういう仕事を選ぼ
うと思ったんですか?

甲斐 企画の仕事をやりたくて、あの時は広告代理店が流行ってい
たんだけど、もっと企画型のマーケティング会社に入りたいというの
があって、日本マーケティング研究所に入ったんです。

宮崎 その中でマーケティングに関することを学んだわけですよね。それで、
その中で色々考え方が変わっていった時に、仕事の中で限界を感じた
りしたことがあったようですが、そのポイントの辺りを教えていただ
けますか?

甲斐 最初の頃は、企業の中の骨格に当たる部分を提案するということが刺
激的だったんですよね。

宮崎 それは、扱う商品やサービスの内容には関係なく?

甲斐 そうそう、たんに市場のリアクションが楽しくて、成功するとなんだ
かかっこいいじゃんみたいな感じで、どんどん勘違いしていっちゃう。
そういう実体のない虚構の世界で、世の中の反応ばかりに気を取られ
て、実際の自分達の生活に、それらがどういう関係があるのかという
ことに無関心だったりするんですよね。

宮崎 マーケティング活動において、マーケットっていうのは人の集まりで
はあるんだけど、たいていはそれが人であるという認識ってないです
よね。こういう働きかけをしたらこういうリアクションが返ってくる
という、まるで実験をしているような感じですよね。
でも、その中でマスとしての人々の反応自体を見ている時って結構楽
しんだりしてますよね?でもどっかでそれが違うってことに気が付く
わけなんだけど、それはいつだったんですか?

甲斐 それはきっと、バブルが弾けた頃でしょうね。バブルの頃っていうの
は企業がある程度、ビジョンに対して投資してたんですよ。
僕が社会的なことに目覚めた経緯は、会社に勤めて6年目あたりから
環境共生というものに巡り会って、ドイツに行ったり建築家の人々と
接したりする中で感化されたことでしょうね。その人たちって日本の
環境共生という概念の萌芽期に携わっている先駆者なんだけど、そう
いう人たちと関れたということはとてもラッキーなことだったんです。
そういうことってバブルだったからできたことだと言えるのかもしれ
ないですよね。

宮崎 海外には結構行かれてるんですか?

甲斐 僕が大学受験を控えていた時期に親がロサンゼルスに3年くらい勤務
していたんです。僕は大学受験があったんでおいていかれたんだけど、
親がいるということで海外が身近なものになって、海外に行くように
なった。僕は特にアメリカに行ったんだけど、いろんな住環境を見て
いると日本のアジア的で雑多な住環境とのギャップに物凄いインパク
トを受けました。
そのあと、企業に入ってからはヨーロッパに行くと、そこはまたアメ
リカと違って住環境に関するストックがあって、今度は逆にアメリカ
の住環境が殺伐としたものに感じられるようになって来た。ヨーロッ
パのそういった非常に豊かな住環境のストックがうらやましくなった。
それはそういったものと日本の住環境を対比することで見えて来たん
ですよね。そういったことがまず、僕の中に根底としてあるんでしょ
うね。

宮崎 バブルの頃は企業もヨーロッパ視察に対して投資してくれて、甲斐さ
んは会社をある意味、有効に使うことができたと。それで、バブルは
崩壊してしまうんだけど、もし仮にバブルが存続していたら、それは
それでよかったんですか?

甲斐 それは難しいですね。バブルが崩壊して企業も資金的な余裕がなくな
って、これからは儲かる仕事をしてほしいといってきたんで、それな
ら辞めますっていうのが、今の自分があるきっかけなんですよね。

宮崎 でもそれってバブルが終わらなくても甲斐さんの中で価値観が変わっ
たんだと思うんですよね。

甲斐 そうですね、変わったんですよね。今までのバブルの頃のマーケティ
ングのスキルっていうのは、大きなバックミラーを用意して、それを
一生懸命磨いているような感じだったんですよね。過去の経験をもっ
た人々に話を聞いて、過去の事柄を調べて、それらを使って先を作っ
ていくというのが手法だったんだけど、実際の価値っていうのはそう
いう過去の話の中にはなかったんですよ。古い枠の中にいる人々を新
しい枠の中に連れていくというときに、バックミラーの中を見てもそ
こには解決方法なんてないんですよね。

宮崎 それは前にあるんですよね。前を見るっていうことが大事なんですよ
ね。

甲斐 そう、今でこそ、それはプラットホームが違うんだということばで説
明することができるのかもしれないんだけど、その当時はその概念自
体が全く新しいので、説明するためのきっかけが必要だったんです。
たぶん、ヨーロッパに行ったのがきっかけだったんだと思います。
でもやめた時に、企業ベースでないやり方でこれからはやっていこう
と思ったのは、辞めたから思えたことなので、多分企業にいる限り今
のような考え方は持てなかったでしょうね。

宮崎 ですよね。でも今までの価値観を残しつつ、その余剰でちょっと違う
ものをやってますっていうのもありますよね。

甲斐 本業をやりながら、何かしら自分のやりたいことをやってますってい
う人は、今でも企業にたくさんいますよね。本業は一応、やっておく
といった感じでこなしておいて、本当に自分のやりたいのは違うこと
なんだっていう。

宮崎 でも、それって不統一なことですよね。それで、甲斐さんはその当時、
不統一は感じてなかったんですか?

甲斐 そういう思いはありましたね。その当時は相当どん欲に人材のネット
ワーク作りをやってて、そのネットワークが成熟していって、機が熟
した頃に、そこで作り上げていくものが企業とどんどんマッチングし
なくなった。
やはり自分のやりたい仕事をやっていきたいという思いが強くなって、
会社を辞めたんでしょうね。だから、結局バブルが続いていても辞め
たでしょうね。

宮崎 それで辞めたということだけど、世の中はバブルが弾けて厳しい状況
でしたよね。その頃はもう、そろそろリストラとかが出て来てた頃で
したか?

甲斐 まだですね。もう少し後からですね。

宮崎 リストラとかが出てきはじめると、リストラされずに社内に残れた人
が勝ち組だ、みたいなのってありますよね。でもそういう考え方って
非常に男性的で、これからはそうではない価値観を持つ事が重要だと
思うわけですが、甲斐さんはそういう流れを早めに察知して、行動を
起こしたんじゃないかと思うんです。

甲斐 そこで求められているのは、きっと企業の枠組み自体を変革するほど
の大きさのものなんですよね。僕は一度企業を出る事で新たな立脚点
を持ち、もう一度企業に対してコラボレーションするという形で企業
変革を共に目指して、新たなマーケットを作っていくということをや
りたかった。そうなってくると、今までいわゆる「男社会」という枠
組みを作ってきた特権層の人々は、このままじゃやばいな、と気が付
くわけですよ。

宮崎 会社にいたらそれはできなかったと?

甲斐 できたかも知れないけど、いったん完全に企業から出て、ユーザーサ
イドからビジョンを一から作り上げたという実績が今あるのは、企業
の外にいたからからできた事だと思う。
今、株式会社リブランという大変ユニークなディベロッパーと仕事を
しているのだけれども、そうしてきたから「下請けではやらない、フ
ィフティーフィフティーの関係で、明確なビジョンとビジョンのぶつ
かり合いでコラボレイトでやりましょう」という話ができているんで
すよ。

そのうち、分譲マンションの仕事を、僕たちの会社であるチームネッ
トが企画を担当して、リブランが販売を担当するなんていうことにな
ると、すごくインパクトが出ると思うんですよね。
これが逆に、チームネットがやってますっていうだけだと、資本力の
ある安定した企業としては見られないから信用されない。そういう意
味でコラボレイトするということの相互作用がここでは生まれるんで
す。

宮崎 結局それは、甲斐さんがどこにも属さないでやったからできたんで、
それがどこであれ、属していたらできなかったと思うんです。更に言
えば、そのディベロッパーも甲斐さんのような外部の人間がいたから
できたんであって、内部で例えそういう話があってもできなかったと
思う。また、これから何度か組んでディベロッパーサイドに幾らかノ
ウハウが蓄積されたとしても、ディベロッパー独自では多分できない
と思うんですよね。

甲斐 できないでしょうね。

宮崎 だから、企業が持っているもので価値のあるものは、ノウハウや経験
ではなくてむしろ資本力で、あとは顧客リストや流通ルートとか。そ
こに個人や個人に近いオルタナティブビジネス組織やNPOとかが合わ
されば変革が起きやすいと思うんですよね。あと、変革っていうけど
会社の中のいわゆる男世界の価値観でやってる人たちは、その会社と
いう枠の中にいたら本質的な意識の変革ってできないんじゃないでし
ょうか。

会社の中にいると、そこではトップダウンで指示が回ってるから、上
から指示されてなんとなくいいかなと本人が思ったとしても、それは
個人から生まれたものでなく、組織の仕組みの中でのものだから本当
に変わったことにはならない。私は企業の枠の中で変わるなんて言わ
ずに、有能な人はどんどん外に出てほしいんですよね。
「きゃりあ・ぷれす」では“統一感のある仕事をする為に勇気を持っ
て外に出よう”というのを言ってるんです。そういう時に、男であれ
ば家庭があるとか子供がいるとか言うんですけど、甲斐さんの場合は
どうでしたか?

甲斐 やっぱりうちの場合は子供がいなかったというのが大きかったんです。
あの当時子供がいたら相当決意するのが大変だったでしょうね。やっ
ぱり稼ぎというのを一番に考えると、それがゼロになるというのは大
きなリスクになりますよね。でも、大企業でも簡単に倒産するし、リ
ストラもあるしという、どっちを選んでも危ないという話になって来
てるんで……。

宮崎 そうそう(笑)。今は結局、誰も保証してくれないし、誰も保証でき
ない。

甲斐 だから、結局独立の道を選んだかもしれないですね。

宮崎 会社勤めの時は給料をもらいますが、甲斐さんの場合それは勝手に降
ってくるものみたいに思ってましたか?それとも自分で稼いでいると
思ってました?

甲斐 それは自分で稼いでいるという意識しかありませんでした。月単位で
目標が設定してあって、それに基づいてチェックしながらの仕事だっ
たものですから。

宮崎 では、会社を辞めて、そういうお金を稼ぐプロジェクトをやらないん
だから、お金がないのは当たり前という感覚だったのでしょうか?

甲斐 ただ、僕の場合は辞める時にある程度の人脈があったんで、仕事の見
通しはできていましたね。

宮崎 収入は減らなかったと?

甲斐 むしろ一番減ったのは、一番最初のコーポラティブ住宅である経堂の
杜をやってる時でしたね。それにかかりっきりになるので他の仕事を
断らざるを得ない状況だったんです。でもそれは将来に向けての投資
だったんですよ。
それで経堂の杜が完成したんだけど、そうすると次のプロジェクトが
とても重要だと思って、中途半端なものは作りたくないということで
選んでいるとまた仕事が来ない。
そうしてるうちに、松陰エコヴィレッジという経堂の杜を上回るレベ
ルのプロジェクトが立ち上がって、それを今やってるんですが、それ
が完成するといよいよ仕事が次から次へと舞い込んでくる時期が来る
かな、と思ってるんですよね。

宮崎 そろそろ仕込みの時期は終わって、次は稼ぐぞという時期ですね。そ
れで、以前会社にいた頃の、ある程度の決定権と収入は保証されてい
るという状況と、今の保証はされてないけど100%決定権があるとい
う立場の違いっていうのは感じますか?

甲斐 圧倒的な違いがあります。一番違うのはストレスです。与えられた仕
事の中で感じるストレスは、今思えばとても大きかったんですね。自
分で選んだ仕事の中で感じるストレスとではレベルが全然違いますよ
ね。

宮崎 じゃあ今は依存してない分、つまらないストレスはないという状態な
わけですね。

甲斐 そうですね、自立した人間同士が相互に働きかけるという、それは依
存ではなく共生ですね。

宮崎 会社の中にいると、組織に属しているから大きな仕事ができると思い
がちだけど、実際に会社から出てみると違うと思うんですよね。

甲斐 それは自分が自立した人間として周りに認めてもらえるかどうかです
よね。組織に属して会社の名刺とかを持って来たって、バックの会社
に目が向くだけで本当の意味で信用されてないんですよね。だけど自
分で会社を興して、自分自身の名刺を持っていくと相手は自分を見て
くれる。

宮崎 何かしてもらおうとしないで、一緒にやろうと考えますよね。

甲斐 それで、話をしてても案外仕事の話なんてしてなくて、それでも付き
合っていくうちに波長があったりしてきて、そのうちコラボレイトが
始まる。本当に自分自身の力で勝負をするなら、組織から出て自分自
身の立場を明確にしていかないと相互作用は生まれにくいですね。

宮崎 企業の中でちゃんとできているなら、外に出ても通用しますよね。有
能な人がこれからどんどん出ていけば、企業というものの存在意義が
問われ始めると思うんだけど、企業の存在意義として挙げるならまず
なんといっても資本力がある。それで次には本来ノウハウや知識なん
だけど、こんなふうに今までのやり方が行き詰まると、これまでの商
慣習や業界の常識めいた部分って往々にして足枷になったりしますよ
ね。としたらあとは顧客と……。

甲斐 そうですね、あとは生産力とか生産資源。あと凄いのは流通ルートで
すね、仕入れルートと販売ルート。それと、大企業とかのグループ企
業はお互いの仕事を繋げるのが得意ですね。

宮崎 グループ内で儲かればそれはいいかもしれないけど、それだと外部か
ら新たなものは入って来ないですね。

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■チームネット設立
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甲斐 チームネットっていう会社の名前は「チーム」と「ネットワーク」と
いうふたつの言葉の組み合わせなんだけど、意味がふたつあって、そ
れは「個人を超える」というのと「組織を超える」という意味がある。
個人はいったん組織の枠組みに入ると、その枠組みの中での価値観し
か作れないんですよね。しかし、一方で個人単位でいる限り、小さな
枠組みの中でしか仕事ができない。
チームネットではまずビジョンがあって、そのビジョンに対して各個
人が組織を超えて集う。根底にあるのは宮崎さんもおっしゃってる生
活の価値と仕事の一元化なんです。

宮崎 チームネットという会社は普通の会社が取る手法とは全く逆の方向性
を目指して設立したということですね。

甲斐 そう。ひとつのビジョンをもって積極的に外のものと結託していって、
クローズせずにオープンな関係の中で外へ向かって拡散していく手法
なんです。そこでは無駄とか効率とかそういう言葉の意味はなくなっ
ていくんです。それはつまり経済的な行為が先ではなくて、先にビジ
ョンがあって、それを実現していく中で結果的に経済的なフィードバ
ックはあるかもしれない。
そこでは経済的な効率は優先的なものではなくって後でついてくるも
のなんです。

宮崎 でも、ビジョンを実現するにはお金も大事ですよね。

甲斐 そう、それも大事ですね。利益を先に見込むという手法は取らないと
決めていたんで、独立した後、お金がついてこなくて苦労したんです。
ビジョンでは飯が食えないことは分かっていたんで、ビジョンをベー
スにした市場への働きかけを実験しようと思って、「エコロジー住宅
市民学校」というボランティア学校を始めました。
独立したばかりで自分自身の価値観と仕事を両立する一元論が成り立
つかといえば成り立たなかった。独立してみてもやっぱり企業を相手
にしないとお金は稼げなくて、一元論を目指して独立したはいいけど、
やがて二元論に従わざるを得ない状況が続いて、苦しい状況が続いた
んですよ。

宮崎 甲斐さんが目指したやり方というのは、今でこそNPO的な考え方とし
て理解されやすいんだけど、その当時は全然一般的じゃなかったわけ
ですよね。バブルは弾けたといってもその状況で取られている手法は
相変わらずバブルの時代のままの手法だった。

甲斐 環境共生をテーマに掲げた方法を企業に対して働きかけたんだけど、
もっと効果があると思っていたんですよね。問題だったのは前例がな
かったということとは別で、企業というのは結局、扱っているものは
「モノ」なんですよ。投資に対して明確な答えがあるものが売れるも
のなんですよ。例えばクーラーのスイッチひとつで24時間家全体が快
適だという方が分かりやすいわけですよ。そうして断熱性も高めて外
との環境を隔離して、閉鎖した空間をつくって家全体をコントロール
しやすくするわけですよ。

宮崎 それはある意味、居心地は良さそうですよね。

甲斐 それは機械的な居心地の良さで、均一感があってもそれは外の世界か
らどんどん隔絶していくものなんです。外の自然要素というのは常に
波があって、その波というのは制御できない。そこには不快なものも
快適なものもあって、不快なものも快適なものも両方とも隔絶してコ
ントロールし、安定した環境をつくり出す。それはとても分かりやす
い価値観で、それこそが企業の価値観なんですよ。
だけど、僕のやろうとしているのは住まいがあって、その周りの環境
も作り上げて、更にその周りの自然環境や町並みにも働きかけるとい
うものなんです。

それは外へ外へと繋がっていくものなので、個人単位じゃなくて複数
の繋がりが必要なものだから、当時の企業の価値観の枠では実現でき
ないものだった。で、企業の枠組みではできないというストレスが僕
の中に溜まってきた。それで、ストレス発散のために一旦ビジネスの
枠組みを外して、ボランティアという枠組みのなかで新しい価値観を
理解してもらうための学校を作ったんです。
そこでは、今までになかった情報に対してたくさんの人が賛同したり
して評判が高まって、その学校がひとつのきっかけになって経堂の杜
を作るに至ったんです。
そうなると今までの手法と全く逆で、でき上がったものは企業では絶
対に作れないような価値だったんですよ。

宮崎 企業というのは消費者のニーズに沿ったものを提供しようとしますよ
ね。だから、消費者の意識自体が目覚めれば、企業も必要性に迫られ
てそうせざるを得ない。

甲斐 ニーズは顕在化しないとニーズではない。潜在化したニーズは企業に
とってニーズではないんですよね。顕在化しているという状況が見て
取れれば、企業としても対応せざるを得ない。それで、誰が顕在化の
状況をつくり出すのかというと、それは企業という枠を外れたところ
でしか作れないんですよね。
僕はコーポラティブという手法を使って、「この指止まれ」と言って
ゲリラ的に提案して、消費者のニーズを顕在化する。顕在化してしま
えば、それを今度は企業に移植する。顕在化が進んでいく過程で、そ
れがある瞬間メディアとかに取り上げられれば一挙に飛び火して、同
時多発的に発展するという段階にもうすぐ到達すると思ってるんです
よ。
そうするとそれが「社会化」という段階。社会化されると顕在化は更
に拍車がかかって、企業の活動によって更に増殖作用が生まれてくる
と、今まで緩やかだった上昇カーブが一挙に昇りはじめるわけですよ。

宮崎 では、今がその昇り始めの臨界点ということでしょうか?

甲斐 そう、その臨界点に向かいつつある場面、っていうのを凄く感じてい
ます。自分のやってることをメジャーなものに向かっているという明
確な感触をイメージしながら仕事していると、ものすごく楽しいです
よね。

(後編につづく)

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