エクアドルの森からの起業物語 (有)スローウォーターカフェ代表 藤岡亜美さんインタビュー《前編》

エクアドルの森からの起業物語 (有)スローウォーターカフェ代表 藤岡亜美さんインタビュー《前編》

 

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仕事と社会のこれからを考えるリポート&アクションマガジン
「きゃりあ・ぷれす」vol. 135
2003・4・23(水)発行
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■INDEX■
【特集】エクアドルの森からの起業物語
天職をさがせ 第8回 がんばれ新人編 藤岡亜美さん(前編)

◆カフェから始まるスローなライフスタイル
スローライフ=ナマケモノのように文化や自然の多様性を基盤にして独自
の方向性で持続可能な発展を遂げるという道
「普通に街を歩いている人というか、そういう人たちに伝えたいんです」

◆ダイビングで得た原点 伊豆、沖縄…自然と文化のつながりに魅了
「潜っていた時に見た魚が次の日の朝起きるとおばちゃんの手によって味
噌汁になっているのを見るほうがワクワクしてましたね」

◆ツアコン志望が一転起業へ 私を目覚めさせたエクアドルの現実
鉱山開発に反対した村人たちに学びたい!フニン村での3ヶ月
一緒にコーヒーを育てた日々に「もう抜けられない!」
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就職氷河期といわれて久しい昨今ですが、近頃の新卒の方々は、必ずしもい
わゆる大企業への就職が一番と考える人ばかりではないような傾向が見受け
られます。
就職課や求人情報誌に出ている求人をあてにせず、有名無名にかかわらず自
らサイトなどで自分の価値観や方向性と合致しそうな企業を探し、直接アプ
ローチするといった能動的な新卒の方々や、さらには今回ご登場いただいた
藤岡さんのように、新卒即起業という「剛の者」もいらっしゃいます。
でも、今という変革の時代は、そういう活力ある若者たちを求めているので
す。
「がんばれ新人!」大学を出たからといって急に規制の枠にはまってしまう
のはもったいない。もっと自分の価値観や方向性を大切にして、自分の道を
切り開いてください。そういう意味でも私は藤岡さんたちに大いにエールを
送ります。                         (宮崎)

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エクアドルの森からの起業物語
天職をさがせ 第8回 がんばれ新人編 藤岡亜美さん(前編)
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藤岡亜美さん
1979年、東京生まれ。明治学院大学国際学部で文化人類学を学ぶ。
ゼミのフィールドワークで出掛けた南米エクアドルで、日系企業の鉱山開発
計画に反対して伝統農業やエコツアーなどによって自立的で持続可能な生活
スタイルを実践するコタカチ郡フニン村の人たちに感銘を受ける。
在学中は、インタグコーヒーと呼ばれる地元産の有機・無農薬コーヒーや地
元で自生する植物などを利用した手工芸品のフェアトレード(公正貿易)な
どを通じて大量消費型のライフスタイルの転換を呼びかけるNPO「ナマケ
モノ倶楽部」のメンバーとして活動。しかし、同様の活動をビジネスによっ
て多くの人たちに広めたいと考え、カフェ開業を目指して起業を決意。
2002年春の卒業を機に、社会的課題をビジネス手法で解決する志向を持
つソーシャル・アントレプレナー(社会的起業家)を育てるビジネスコンペ
に応募し、見事優秀賞に輝く。
今年3月には東京都主催の学生起業家選手権で優秀賞を取り、インタグコー
ヒーや無農薬料理などを提供するカフェ運営とフェアトレードを柱とする
(有)スローウォーターカフェを近く設立予定。今年末までのカフェオープ
ンを目指して日々奮闘している。

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◆カフェから始まるスローなライフスタイル
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─今までの「天職をさがせ」は、一度企業に就職してから辞めて「天職」と
言えるような仕事にめぐり合った方々にご登場いただいてきたんですが、
新卒で即起業という人は初めてのケースです。でも、藤岡さんは大学生の
頃から現在の事業をやっていたんですってね。

はい、エクアドルを環境保護運動のフィールドにしていた辻信一教授のゼミ
「文化とエコロジー」のゼミ生で、自分の食い扶持を気にせずに済んだ学生
の頃から現地と行き来しながら商品開発などはやっていました。

エクアドルはequator(赤道)という意味で、海岸部には昔奴隷船で漂着し
た黒人の末裔が住んでいたり、山岳部には先住民が住んでいたり、土地ごと
に多様な自然と文化が現在も比較的守られている国です。エクアドルには大
学2年生の時に初めて行き、以来4回行っています。

学生時代は、ゼミの卒業生が中心となって設立したNGO「ナマケモノ倶楽
部」( http://www.sloth.gr.jp )に関わっていました。ここでは、コーヒ
ーを中心にエクアドルから輸入したものを販売したり、イベントを通じてス
ローなライフスタイルを広める活動をしていました。「ナマケモノ倶楽部」
というのはエクアドルにいるナマケモノから名前を取っていて、「ナマケモ
ノになろう!」という呼びかけをしています。

ナマケモノはエコロジカルな動物です。一日に3枚しか葉を食べなくて、糞
をする時には危険にさらされるのにわざわざ木から下りてきて穴を掘ってそ
こで済ませます。それが木の肥やしになるので、自分の食べたものが循環し
ているんですね。また、ナマケモノには天敵はいません。いかに強くなるか
ではなく、いかに生態系に寄り添って生きていけるかを目指して生き残って
きた動物で、平和で非暴力で敵を作らないということが言えると思います。
ナマケモノは「森の菩薩」とも言われているそうです。しかし、敵がいると
すれば森林伐採をする人間です。森林伐採で人里に出てきてしまうと人間に
捕らえられたり、えさがなくて生きていけなくなってしまいます。こうした
現状に気づいた現地在住の環境運動家アンニャ・ライトさんが「ナマケモノ
を守ろう!」と私たちに伝えてきたんですが、私たちはそれだけではなく
「ナマケモノになってしまおう!」と考えたんです。

─では、ナマケモノ倶楽部の現在の活動は、森林伐採を止めさせたり植林し
たりというようなことですか

それもありますが、現状を根本的に変えるには自分たちのライフスタイルを
見直さないといけないので、エクアドルで森を守ったり、環境共生型の暮ら
しをしている人々とつながりながら自らも「ナマケモノになる!」というこ
とをメインに据えています。

今、エクアドルは分かれ道に立っていると思います。一つは、豊富な鉱物資
源を売って先進国の後追いをしながら経済発展するという道。もう一つは、
今お話したようにナマケモノのように文化や自然の多様性を基盤にして独自
の方向性で持続可能な発展を遂げるという道です。でも、後者の流れを実践
しているのは非常に限られた人たちなので、こういう人たちとつながりなが
らコーヒーや雑貨を輸入して、カフェを作ったり、イベントに出展したり、
NGOとして発信をしたりすることで訴えていこうとしています。

─ナマケモノ倶楽部でもコーヒーや雑貨販売というビジネスはしているんで
すね

そうです。ただ、運動しているだけでは影響力が及ばないですよね。私の場
合、学生のときは自分の学問と環境運動がつながっていたのでそれが面白か
った。また、ビジネスにつなげていくとそこでも自分たちのやっていること
が表現できるし、何より企業が変わらないと環境は変わらないですよね。そ
う思っているので、学問とビジネスと運動を全部つなげてやろうということ
がコンセプトになったんです。

─でも、ナマケモノ倶楽部とは別に起業したんですよね。NGOという形で
はやりにくいことがあったんですか

実はそうです。今まで3年ぐらいこの活動をやってきて、運動の中での限界
を感じたんです。というのも、自分の個人的な友達の中にはこうした運動に
関わっていない人もいて、こういう人たちと話しているとやはり運動には抵
抗があるのか溝を感じました。イベントに出展しておいしいコーヒーやかっ
こいい雑貨を売っていても、そこに足を運んでくれる人は同じ種類の人たち
なんです。私にとってこうしたことをもっと広げたい人は、自分もそうでし
たが雰囲気で受け取ってくれる人だったり、何て言うんでしょうか普通に街
を歩いている人というか、そういう人たちに伝えたいんです。

─なるほど、現状の形ではビジネスであったとしても限られた人々にしか伝
わらないと思ったんですね

そうなんです。なので、ビジネスのほうに重心を置いてやっていけることは
ないかと探していた時に社会的起業家を支援する「ETIC」
( http://www.etic.or.jp/ )というNPOが主催したビジネスコンペに応
募しました。それがきっかけでビジネス分野の方々とつながりを持たせてい
ただくことができました。

─で、今回東京都の学生起業家選手権で優秀賞を取って、いよいよ会社設立
ということですね

はい、スローウォーターカフェという会社です。都内の川沿いにカフェを出
店する予定です。そこでエクアドルのコーヒーを出したり、サイザル麻と呼
ばれる麻から作った雑貨も販売します。

アンデス山脈近くの地域では昔から男性の力が強く、女性は飴一つ買うにも
旦那さんに聞かなければならなかったそうです。子供たちの教育や医療にも
現金が必要ですが、鉱山開発などによる雇用にはNOと言う選択をしたので、
コーヒー生産者の奥さんたちが自宅近くに自生する麻をすき、森に生育する
植物を使って自然染色したものから何かをつくっていこうと組合を設立した
んです。最初は2色ぐらいしかなかったんですが、バックやベルトを作って
くれました。その頃、私たちは日本で水筒を広めようという運動をやり始め
ていました。マイボトルを持ったら缶を使い捨てにしなくていいし、自分が
安心して飲める飲み物を選べますよね。そこで、私がペルーで見つけた水筒
ホルダーを彼女たちのところに持って行って、一緒に商品開発をしました。
これがきっかけで、何かを頼むにはこういうふうにコミュニケーションを取
っていけばいいんだなというのが分かってきて、いろいろな雑貨が形になっ
ていきました。色のバリエーションも5、6色に増えたんですよ。税関で箱
を空けるごとにグレードアップしています。

このほか、象牙の代わりにタグアと呼ばれる椰子の実からつくったアクセサ
リーもあります。象牙に対するオルタナティブという意味で出しています。
タグアは熱帯雨林に自生しているもので食用にもなりますが、固くなって木
から落ちると削れるようになります。落ちたものを加工するので持続可能だ
し、削りカスは粉にして豚のえさに混ぜて食べてもらいます。産業廃棄物が
出ない循環型の商品なんですよ。

─ウェブサイト上での通販もやるんですか

そうです。まだ準備中の部分もありますが、他にどんな商品があるかすべて
ご覧いただけますのでどうぞ!

南米、エクアドルの宝物

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◆ダイビングで得た原点 伊豆、沖縄…自然と文化のつながりに魅了
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─ここで、藤岡さんが起業に行き着く“源流”のようなものを探っていきた
いと思うんですが、大学のときに文化とエコロジーをテーマに学びたいと
思うようになったきっかけって振り返ってみると何でしたか。

私、ダイビングが好きだったんですよ。おじさんがダイビングをやっていた
ので機材とかは借りられたんですが、高校生の頃は当然あまりお金がないの
で、ハワイやグアムではなく伊豆の漁村なんかに出かけて潜っていました。
今考えてみると、潜っていて色々な鮮やかな魚を見ることよりも、潜ってい
た時に見た魚が次の日の朝起きるとおばちゃんの手によって味噌汁になって
いるのを見るほうがワクワクしてましたね(笑)。自然と文化が直につなが
っている現象っていうんでしょうか、そういうものを見たいがために沖縄に
も行ったし、地元で雨水タンクに貯めた水を利用しているというおじさんの
存在を聞けば出かけて行ったりというように、自分なりに積極的に行動はし
ていました。

実は私、最初は旅行の仕事がしたかったんです。旅行といっても、自然と文
化のつながりに触れられる旅行ですけどね。それで、旅行の仕事につなげら
れればという自分の興味の延長線上でエクアドルに行きました。エクアドル
は魅力的でしたね。ジャガイモをドサッと持った人がバスに乗り込んできた
り、海の波のリズムに合わせて人がダンスを踊っていたりするのを見るとや
っぱりワクワクしました。環境運動に対して問題意識があったからとか、勉
強したい対象だったからというわけではなく、自然とつながりながら人々が
おこす文化を見るのが好きでした。

─身近な興味だったダイビングを通じて人と自然の関係に興味が移っていた
んですね。でも、高校まではあまり環境問題とか意識してなかったとか…。

私にとっては、環境問題イコール公害問題でした。自分が空き缶をどう捨て
るかではなく、水俣病とか大きな問題だと感じていました。自分とはつなが
っていないと思っていたし、自分では到底何をしても解決できないことだと
思っていました。教科書に出て来るだけの出来事だと…。ですから、大学に
入って勉強したいと思ったのは環境ではなくて観光でした。国際学部は海外
に関連した科目を勉強できるし、英語もかなりカリキュラムの中に組み込ま
れていました。一般旅行業務取扱主任者の資格は他で取ればいいかなという
ことで、その勉強も始めようとしてました。

─では、元々は旅行関係の会社に行こうと考えていて、起業しようなんてい
う意識は…。

全然なかったです。JTBとかに入って、なんて思ってましたから(笑)。
実はちょっと就職活動もしたんです。環境系企業の合同説明会でエコツアー
をやっている会社の人のところに行って話を聞いたんですが、その人はいき
なり「自分はたまたまエコツアーの部署に配属になったからよく分からない」
なんて言うんです。その人の思いとその人がそこにいるということが繋がっ
ていないんですね。そうか、と思ってやめてしまいました。

─まあ、元々エコツアーというのはマスを相手にする大手旅行会社のスタイ
ルには合わないですよね。むしろ、今のビジネスの中でエクアドルへのエ
コツアーという企画もできると思いますよ。

私もそう思います。ナマケモノ倶楽部と関係のある府中にあるカフェスロー
( http://www.cafeslow.com/ )には、エクアドルなどへのエコツアーをフ
リーランスの立場で企画している仲間もいます。

─旅行の仕事は選ばないわけですが、こういう形で起業しようと考えてエク
アドルに行ったのか、または行ってみてやろうと思ったんですか。

エクアドルに行ったのも、私の中では観光のことを深めるためだったんです
が、そこの文化に関心が移っていったように思います。ここまでは何となく
自然に。でも、本当にこれを一生かけて仕事にしようと考えたのはちゃんと
したきっかけがありました。

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◆ツアコン志望が一転起業へ 私を目覚めさせたエクアドルの現実
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─それは、どんなことでしたか

大学3年生の夏に、それまでは行かなかった山奥の村まで行きました。そこ
がフニン村です。ろうそくだけで電気もない場所で村長さんから話を聞いた
んですが、1992年に日系企業の鉱山開発があったということを聞かされ
ました。その前まで握手をして迎えてくれたのに、いきなりそう切り出され
ました。開発によって川に鉱物が流れ出て、川の水を飲んだ家畜が死んだり
子供が皮膚病にかかったそうです。そこで村人全員が集まり、森と川を守っ
て生きるために鉱山開発に反対することを決議しました。でも、このことを
表現する場所がなかったんですね。村人たちは日系企業にもエクアドル政府
にも相手にされなかったので、試掘のために作られたキャンプに人がいない
時を見計らってキャンプに火を放ち焼き払いました。

この話を聞いたとき、ものすごくびっくりしました。最初は文化の鮮やかさ
などにあこがれて来始めたエクアドルでしたが「ちょっと待てよ」と思った
んです。何でフニン村の人たちはこのような選択ができたんだろうかと。日
本でも大きな声が上がらずに壊されていったものってありますよね。ダイビ
ングに行った海の海岸がコンクリートで固められた、なんてこともありまし
た。でも、どのように声を上げたらいいのか分かりませんでした。私はこの
村の人に学んで、何故こうした選択ができたのか調べたいと思うようになり
ました。それまではただ興味だけで行っていましたが、ここで立ち止まって
みようと考えました。それで、翌年の夏に3ヶ月間滞在しました。この経験
がなかったら、私はたぶん普通に働いて、仲間とたまにエクアドルに行って
友達に会ってということをしていたでしょうね。

3ヶ月の滞在期間中、コーヒー生産者の家に住みながらコーヒーが育てられ
ている現場や働く思いを共有させてもらいました。生産者の家庭には26歳
の同世代の男の子がいて、彼について出掛けて行きます。まず、森がすごく
キレイ!アグロフォレストリー(森林農業)というやり方ですが、コーヒー
は森の中に植えられ、バナナやアボガドの間にあって木漏れ日を受けながら
育ちます。その森の中で、みんなとっても気持ちよさそうに働いていました。
休憩時間にふと向こう側の山を見ると、焼畑が行われてるんです。彼が言う
には、この村には焼畑をする人もまだいるし、木を切り出したり、農薬を使
って換金作物を作ることを推し進めている人もいるけど、自分がこの森で作
ったコーヒーを日本に輸出したり、この森を海外の人を案内したりすること
で、鉱山にNOと言って森で産業を興すことを決めた自分たちの選択がビジ
ネスとして成り立つということを見せれば、周りの大人たちも変わっていく
んじゃないかということでした。すごいことを言いながら、でも自分にとっ
て一番気持ちのいい場所で働いてるんですよね、彼は。その姿がとても自然
でかっこいいなと思って、まずはそんな彼らとつながって何かしたいなと思
いました。

彼の父親はサトウキビの大農園を経営していて、森を切り開いてサトウキビ
畑をもっと大きくしたいと思っていたんだそうです。でも、彼は「村人みん
なでこういうライフスタイルを選ぼうと決めたんだし、僕たちも違うやり方
をしたいのでこの森を残そう」と父親に言いました。これをきっかけにコー
ヒーを植え始めたそうです。彼の家でコーヒーが育つ時間を一緒に共有でき
たことで「もう抜けられない。これをやろう!」と強く思いました。

─エクアドルの環境保護活動と同時に、日本で起業をしてビジネスとして成
り立たせることで日本も変えようというという意識もありますか。

はい。フニン村では、今でも一ヶ月ごとに新しい鉱山開発の話が浮上してい
るそうです。日系企業ではありませんが、カナダやチリの会社によるもので
す。鉱山開発の大元を断ち切るには、やはり私たちのライフスタイルが変わ
らないと意味がないと思います。地球の反対側で鉱山開発が実際に起きてい
るということを知った時、私はそれまでは自動販売機でジュースを買って飲
んだり、時間がないときはちゃんとゴミを分別しなかったりということがあ
りましたが、そういうことが気持ち良くなくなってしまったんです。少しで
も多くの人に私と同じように感じてもらいたいし、スローなライフスタイル
を広げたいと思い、それで事業の展開としてカフェを選びました。活字では
なく、音楽や雰囲気や味を通して私が最初にエクアドルに行って感じた面白
さを伝え、それをドアとしてフニン村のストーリーを知ってもらったり、商
品を味わってもらったりできればいいなと思っています。 (後編に続く)

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