四季折々の生活に則した身体の観方、使い方《前編》

四季折々の生活に則した身体の観方、使い方《前編》

身体感覚講座講師 松田恵美子さんインタビュー


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働く女性のためのキャリアプランニング情報誌
「きゃりあ・ぷれす」vol. 101
2002・3・20(水)発行
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■INDEX■
■【特集企画】「天職を探せ」
第2回 松田 恵美子さん(前編)(身体感覚講座 講師)
・混沌の中にあった可能性
・選択は人の目? 自分の目?
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第2回 松田 恵美子さん(前編)
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■プロフィール■
松田 恵美子 (Matsuda Emiko)
身体感覚講座 講師

記者・編集者として、出産を機に「よりよいお産」を探るうち、現代人にお
ける生命力の発露へ眼が向く。瞑想ヨーガを塩澤賢一氏に師事。
社団法人整体協会・身体教育研究所(野口裕之氏主宰)にて内観的身体技法
を学び、身体内の動きと内部感覚の領域へ。
四季折々の生活に則した身体の観方、使い方の指導にあたる。

◆身体感覚講座とは◆――――――――――――――――
この講座では、四季の移ろいと共に変化してゆく、身体に潜む「自然の動き
と感覚」に出会ってゆきます。
まずは、自分の身体の内側に眼を向けてみる。外を見たときの違いを知って
ゆく。
そして、身体内に生じた感覚を味わいつつ、動きの流れに乗ってゆく。
そこでは、いろいろな発見が起こります。
ビックリしたり、ナルホドと納得したり……。
おもしろがって、自分の中のいろんな感覚に出会ってゆくうちに、身体の内
側の勢いが目覚めてくるとイイ。

イメージは使いません。
アタマで身体を支配せず、実際に自分の腹や腰をちゃんと使ってみようよ、
という挑戦です。ちょっと大変だけど、自分で自分を変えてみようよ、とい
う試みでもあります。
ですから実技は、仕事や日常生活、人間関係など、日々の営みの中で、自分
で実践していけることが中心。
クールに自分を観つつ、「自分の身体の自然」と共に生活できる知恵やヒン
ト、喜びや楽しさをお伝えできたらと思っています。

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■混沌の中にあった可能性
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宮崎 松田さんは、お生まれはどちらですか?

松田 東京の世田谷区です。小学校、中学、高校は一貫教育の学園に通った
のですが、受けた教育でいえば、小学校がいちばん印象深いです。
当時、その小学校では教科書は先生方の手作りで通信簿もない。ノビ
ノビ、自分の好きなことに向き合ってごらん、という環境を用意して
くれていたような記憶があります。たとえば、クラスのお楽しみ会で
劇をやるとする。練習時間が足りない。すると先生に「頼むから時間
をください」と皆で談判しにゆくわけ。先生たちもいろんな要求をこ
ちらに出しながらも、結局は2日間くらい劇の時間に当ててくれる。
「ヤッタア!交渉成立!」というところで、まずクラスメイト同士の
“やる気”が高まっていく。雪が降った日なんか上手に持ってゆくと、
1日中、雪合戦や雪だるまで遊ぶ日にできちゃう。

今から思えば、先生方にはうまくはめられていたなとわかるんですけ
れどね。たくさんの知識を与えるより、子供だった自分たちの中から
「これがやりたいっ!」っていう要求が起こることを、むしろ先生方
は望んでいたんじゃないか。そして、その出会ったときを逃さない。
「時間ですよ」と細切れにしない。「規則ですよ」と縛らない。出会
えたものに、納得のいくまで十分、携わってごらんという姿勢で接し
てくれていた。

これは大変ありがたいことでした。今の私の素地を作ったのではない
かと思うほどです。時間を忘れるほど夢中になるものと出会う喜びや、
“皆で力を合わせれば、それをつかむことができるんだ”と可能性が
信じられること。初めて出会う小さな社会において、その環境が確保
されていたんだな、と。そのぶん、大人たちは本当に大変だったでし
ょうけど。

宮崎 その小学校の校風というのは、松田さんの人生を最初に位置づけたも
のなんですね。

松田 おそらく。あの年齢だったからこそ、余計なもので目を曇らせること
なく、ものが観えた。しかも夢中になるものと出会えるということは、
自分と対峙する世界の中へ入っていけるということでもありますから。
“集注する”そのこと自体に、すでに喜びがある。
子供の頃、自分が懸命にかかわれることを探り、体験してゆくことっ
て、結構、職業を決めるときのバックボーンになるんではないかと思
うんですよ。さらに、職業を定めて続けてゆくときの支えにもなるの
ではないかと。

宮崎 時代的な要素もあるでしょうが、私も松田さんほどではないとしても、
似たような小学生時代を過ごしたような気がします。今の小学生に比
べれば、ずいぶんおおらかな生活でした。
ところで、松田さんは、小学生の時、将来はどんな仕事をなさりたい
と思っていらしたんですか。

松田 エーッ。そんなこと言っちゃうんですか。ぶっとんじゃいますよ。

宮崎 どうぞ、出し惜しみせずに言ってください。

松田 魔女になりたかったの。魔法が使えたらなぁ、と。
小学校低学年くらいまでは、箒にまたがったら絶対に飛べるに違いな
いと信じていました。飛ぶにはきっとコツがあるだろうと。
親の目を盗んでは、コッソリ箒にまたがって庭を何度も行ったり来た
り、工夫してました(笑)。そういう宮崎さんは?

宮崎 私は、兄が読んでいた少年マンガ雑誌の影響で、手塚治虫や白土三平
のマンガが大好きで、自己流でストーリーマンガを毎日描いていた子
供でした。将来は虫プロに入ってマンガ家になりたいなんて思ってま
した。その頃は、もし刑務所に入れられることがあっても、紙と鉛筆
さえあれば別に困らない、なんて思ったりして。

松田 アハハ。私、小学校6年生の時は、もう少し考えました。たまたま、
卒業文集をまとめる役で、お題の1つが「10年後、20年後の僕・私」
だった。あれはお役目上、初めて真剣に“将来の仕事”のことを12歳
にして考えてみる機会でした。

ちょうど、その夏、大阪で万国博覧会が開かれたんですね。私は行き
たくてたまらなかったんだけど、親に連れていってもらえなかったの
で“よし、それなら”と「次の次くらいの万国博覧会では私はもう大
人になっているから、海外に行って、日本の文化を紹介するホステス
になります」と書いた。今でいうコンパニオンなのかなぁ?(笑)
颯爽と外国の人々の中で、女性が仕事をしている姿に憧れたのかもし
れません。「海外で仕事をしたいから、中学に行ったら一生懸命、英
語を勉強します」なんて宣言までしちゃって(笑)。

でも“それがだめなら……”と次の案もちゃっかり用意してました。
「本を作る人になりたい」と。あの頃は、自分の知らない世界に入り
こめるのが本だったからでしょうけど。それもだめなら「北海道かど
こかの広い牧場に行って、そこの人と結婚して、馬の世話をして暮ら
します」。

この脈絡のなさ!(笑)数十年間すっかり忘れていた夢ですけど。
でも今回、このように「自分と仕事」というテーマで改めて振り返る
機会をいただいてみると、あの時代から数十年間過ごしてくる段階で、
だんだん昔の夢に遡っていっているような気がしてくるんです。
原点に戻っていっているというか。あの頃、思いついた夢と大人にな
ってからの現実では、随分やってきたことの形は違うのだけれど、根
底に流れている何かを1つひとつ昇華しながら、時間が過ぎてきた、
という感じがします。
自分が希求するものとか、携わっていく姿勢とか。知らず知らずのう
ちに形こそ違えて体験してきたという。それは、きっと幸せなことな
のかもしれませんけど。

宮崎 私は4月生まれなので、小学校4年生までは全く努力することなく、
いい点がとれました。ところが5年になると、努力することを知って
いる3月生まれや2月生まれの人にあっさり逆転されて、それでも努
力するのは苦手なので、以来ずっと優等生とはほど遠い反逆児のまま
といったところでしょうか。でも、そのことが今という変化の時代に
は合っているのかもしれません。
人生、何が役に立つかわからないものです。

松田 少なくとも、小学生の間「何にでもなれるんだ」という、自分の可能
性を混沌の中に置いておいてくれた教育のあり方に、今思うと感謝せ
ざるを得ない。野口整体では、よく「子供は、丸―く(まあるく)育
てなさい」と言われます。
ある部分だけを突出して育てると、かえってある部分が欠けてゆく。
たとえゆっくりでも、本人からの要求に添ってゆけば、どの方向へも
向かえる球体のようになって、時期がきたらちゃんと自分で定めた方
向へ進み出すということなのでしょう。まるで、卵から雛が孵るとき
のように。雛が卵の内側から、コツコツと殻をつつき出すような感じ
かな。そのとき、丸い卵の中から次のことが起こってくるのは、十分
に何かが満ちたからではないでしょうか。

宮崎 英才教育なんて、もってのほかということですね。そんなことしなく
ても天才は天才として出てくる。環境を作り上げてムリヤリ天才を作
ろうなんて、親のエゴ以外の何ものでもないですよ。逆に子供の人間
としての無限の可能性をつみっとっていることに気づくべきだと思い
ます。

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■選択は人の目?自分の目?
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松田 夫の仕事が中学・高校の教師でして、家にはしょっちゅう卒業生やら
生徒達がやってきて、いろんな話をしていきます。将来どんな職業に
就きたいかという話になると、中学生で考えているコというのはかな
り現実的でして……。人の役に立ちたいという純粋な動機とともに、
「この資格を取ると、月々いくらの収入で勤務時間は……」という把
握をしだす。まるで新聞の求人広告に合わせているみたいなんです。

「ネェネェ、小学生の頃、宇宙飛行士とかスチュワーデスとか、野球
選手になりたいとか、夢持たなかったの?」と水を向けてみると「な
りたいものを考えたけど、自分にはできないと1つひとつ消していっ
たから」と答えてくる。小学生の時点で、すでに自分の漠然とした夢
すら見れないコが増えているんですね。
教育現場だけでなく、親すら「勉強だ、塾だ、習い事だ」と子供を追い
たてている現状ですから、子供たち自身、自分は本当は何が好きかなん
て出会っている間もないんでしょうけど。

宮崎 なんだか、わざわざお金を使って、子供の時間を奪って、子供たちの
可能性や考える力や創造力をつぶしているようなものですよね。

松田 確かに。そして一番気になるのは、子供たちが、自分の将来の夢を述
べる時ですら「社会の基準や他者の目から見られている自分」を自分
で判断してしまっていることなんです。「私は勉強が嫌いだから」と
自分で自分を思うのと、「私は皆と比べて勉強ができないからダメ」
と自分で自分に烙印を押してしまうのでは、すでにスタートの時点で
根本が違ってしまっている。

つい先日も、中学を卒業した息子のもとへ「小学校のクラス会やろう
ぜェ」と受験を終えた友人たちがやってきた。彼らが行っていたのは
地元でも「所沢の学習院」と呼ばれているほど評判の公立校なんだけ
ど、「ところでオマエ、高校どこへ行くの?」という話になったら、
みんな急に下を向いて黙ってしまったんです。
たまたま家にいた夫が、一番キカン坊だった息子の友達に向かって、
「オイ、どうしたんだよ?」って聞くと、「だって、俺、一番偏差値
の低い私立校に行くんだもん」と蚊の鳴くような声で小さくなって。
「じゃあ、ナニカ、お前? 偏差値の高い高校や大学へ行った奴が、
“良い仕事”をするのか?」と夫も突っ込んだら、みんな神妙な顔を
している。

その後、急に「○○は慶應に受かったんだってェ」とかなんとか始ま
って、場が急ににぎやかになっちゃった。その慶應に受かったコって
いうのは、小学校の時から御受験一直線のヘナヘナの青白い子なんだ
けど、子供たち自身が、その歪みに気づいていながらも、どうにもな
らないところに身を置いているんだなぁと思いました。
しかも、点数で序列された価値観で自分の人生を見ようとしちゃう、
自分の仕事を選ぼうとしちゃう。
そういう価値観が、子供時代に刷り込まれちゃうことが残念でならな
いんですよ。人はそんな単純なものじゃないし、いろんな可能性を秘
めているのに。

宮崎 でも、そんな弊害を生み出しているのは、学校教育や受験体制だけで
はないような気がします。子供をマーケットとしたビジネスの熾烈な
戦いは、子供たちに麻薬のように刹那刹那の快楽を与えるモノやサー
ビスを提供し続けています。その中に逃避している限り、自分の「心」
や自分なりの価値観を育む必要がなくなっているのではないでしょう
か。

松田 それは子供だけでない、大人も同じですよね。自分の人生を「人の目
から見た自分の評価」で選択していないだろうか、ということ。人か
らどう見られるかを基準にして、自分の行動や考えを決めていないか、
ということ。
とかく今の日本って、マニュアル的模範回答ができて、口先、手先が
よく動く奴が幅をきかせているでしょ。安定さえ求めていれば、身体
ごと体当たりでぶつかっていき、乗り越えてゆく体験なんて、ほとん
どしなくても生きてゆける。

宮崎 でも、そういう時代はバブルの崩壊とともに終焉しました。そして、
バブル以前のような日本には決して戻らないでしょう。今、時代は
下克上の戦国時代です。寄らば大樹の陰が通用しない。
おもしろい時代だと思います。

松田 確かに時代は変わり出したな、という気もしています。
まず若い子たち。既存の価値観に身を浸らせ、金属疲労のように磨滅
してゆくコがいる反面、そこから脱け出して自分の可能性に体当たり
してゆくコが出てきている。学歴を超えて、自分のやりたいことを手
探りでつかんでゆく。人生に対する満足感の質が変わりだしてきた。
まさに“生き方としての進路”を選択してゆく姿勢です。
特に若い子は柔軟ですし、背負っているものも少ない。自分にとって
の仕事観、自立した人生ということと青春時代にしっかり向き合うと、
どんどん変わってゆきます。

やっぱり、自分の好きなことを仕事にしてゆける、集中できるものを
見いだしてゆけるというのは、生きる力でもあると思うのです。そし
て「変われる」ことも力なんだと思う。
人から、どんなに羨まれるような経歴や収入があっても、本当に自分
が自分に満足しているのかは、その人が一番知っています。

宮崎 今の時代って、厳しいけれど、とってもおもしろい時代だと思います。
お金がグルグルまわっている時は、何となくカッコつけて生きていら
れた人が、急にバケの皮がはがれて破綻してしまう。
これからはカッコつけようとしてもムリだから、自分が自分で満足で
きるような生き方や働き方しかないんじゃないかと思うんです。

松田 その満足感というのは、自分の身の回りをいろんなものでいっぱい飾
り立てることじゃなくて、自分が自分で「ヨシ!ヤッタ!」と判子を
押せるような充足感。全身全霊でかかわってゆくもとに、生み出され
てくる充実感といってもいいかもしれません。それを仕事に見いだそ
うとするには、更に人生を前向きに捉えてゆける技みたいなものが必
要になってくる。
そして一度でも、その充足感を味わうと、さらにもっと深いものに出
会いたいと望んでいくのもまた、「人の力」なんじゃないかと思うん
ですね。そういう充足感に出会うためには、まず、自分の内側の要求
に目を向ける。身体ごと真剣にかかわっている自分に出会ってゆく。
まず、そういう体験の中から、次のステップが生み出されてゆくよう
に思えてならないんですよ。
(中編につづく)

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